食レポにモヤモヤしませんか?
料理の評価をするときに、”甘い”や”やさしい”と評価するのを耳にしますが、(いやいや、そうではないでしょう)と思ってしまいます。
「野菜の甘みがしみ出して、全体として優しい味に整っていますねぇ」
このようなコメントからは料理は美味しくなくはないことは伝わりますが、
「可もなく不可もなく、標準的な味ですねぇ」
といった”当たり障りのない評価”としてしか伝わってこない。
(残念ながら)実際の料理に特徴がなかったという事実があるのかもしれませんが、もっと具体的な印象を伝えてほしいと思うのは、僕だけでしょうか。
このような食レポは、”誰も傷つかない言葉”、”誰もが「何となく分かる」として共感出来る言葉”を使用して評価しています。
料理の雰囲気をレポートしているのであって、味をレポートしている訳でないのです。
同様に、以下の様なコメントも耳にします。
「全体としてはしっかりとした調和がある中に、主張した辛みで存在感を示しているものもありますねぇ」
「肉自体のやわらかさを保ちつつ、焼き加減によって歯ごたえも加えられています。それでいて、濃厚なソースにわずかな酸味を加えることで肉本来の旨みをさらに際立たせる、素晴らしいアイディアだと思います」
このようなコメントにも僕はモヤモヤしたものを感じます。
”主張”したものが全体の”調和”を保ったり、”やわらかさ”と”かたさ”、”濃厚”で”さっぱり”した感じといった、それぞれが対義語になるような言葉を並べて何かを評価する手法にモヤモヤしてしまいます。
誰も傷つかない評価は、誰も損しない
一つの決断をした場合、その決断に多くの人は賛同するかもしれませんが、賛同しない人ももちろんいます。
誰もが同じ感覚や意見を持っている訳ではないので、反対の意見を持っている人も必ず存在しています。
このような背景があることから、
”自分の意見を表出することで反対意見を言われることに怯えてしまう”
または、
”反対意見に対して自分の意見を押し通すことが面倒くさいので、反対意見を言われないように、自分の発言の中に反対意見も追加してしまう”
という心理行動が働いているのだと考えます。もちろん、背景を知っているか知らないかはその人次第であります。
以下の様な感じです。
「優しさの中にも、厳しさがありますね(自分は優しいとしか思っていないけど・・・)」
「一つ一つはメリハリのある色合いですが、全体としては淡い感じに仕上がったコーディネートですね(自分は全体の淡い感じしかしないけど・・・)」
括弧内のような自分の意見はあるのですが、それをカバーするようにもう一つの意見もコメントしておくことによって、自分を含めて誰も傷つかないようにする。
”自分の意見を対義語に近い言葉を併用して一つの発言をする”
コレが、僕をモヤモヤさせる原因かと思います。
生存競争は大変です
”自分が傷つかない様にしているのか”または、”他人を傷つけないようにしているのか”のどちらに主眼が置かれているかを考えた場合、僕は前者だと思います。
自分の意見を言った場合に、反対意見の人に強く批判される可能性があります。
誰かを傷つけてしまったことで、他の誰かに自分がバッシングされる可能性もあります。
結局は、自分の発言の責任が自分に返ってくることから、”自己防衛”として自分の発言に対義内容も含めるのだと思います。
自己防衛は決して悪いことではありません。生存競争を勝ち抜くには必要なスキルの一つだとも思います。
しかし、”意図しているかしていないか”は大切なポイントとなります。
意図せず発言しているのであれば、自分の意見も霞んでしまうことから”自己の喪失”につながりかねません。
”生存競争を勝ち抜く為に必要なスキルで自己が喪失してしまう事態”にならないように、発言内容には注意が必要です。
でわ、お大事に。
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