【言葉の使い方で意識は変えられる】

Thought

”言霊”とまでは言いませんが

広辞苑(第六版、岩波書店)によりますと、”言霊”とは『言葉に宿っている不思議な霊威(れいい)。古代、その力が働いて言葉通りの事象がもたらされると信じられた』と説明されています。

ちなみに、霊威とは『霊妙な威光。すぐれて不思議な力』のことです。

僕の言霊に対するイメージは、何か難解な単体の漢字を使用して、”この字には〇〇のような意味があり、神から授かった天からの命(みこと)である”みたいな、一方的なイメージです。

今回は”言霊”のような霊験あらたかな、壮大なお話ではありません。

日常生活に中で見たり聞いたりする言葉が、自分たちに影響しているといったお話です。

日常的に使用する言葉でも使い方によって、意識は変えられる

簡単にいえば、

言い方一つで意味合いは変わる

ということを小難しく考えてみました。

その意識については、自分の意識を変えられるだけではなく、他人の意識も変えられるかもしれません。

”書いた”と”積み上げた”

例えば、「ブログを”書いた”」という表現と、「ブログを”積み上げた”」という表現を比較した場合、前者は”点”のイメージですが、後者は”面”のイメージです。

”書いた”という言葉は、一過性でしかないイメージですが、”積み上げた”という言葉には今後も継続されるイメージです。

別の言い方をすれば、一方は、やりっぱなしで放置されてしまうイメージで、他方は蓄積されていくイメージであることから、”書いた”よりも”積み上げた”と表現した方が受け取る側には”経験値のレベルを高くした”と意識されます。

このことは、”書いた”や”積み上げた”といった行動(動詞)としての言葉だけではなく、その対象も大切なものとして意識されます。

ここでは”ブログ”がそれにあたります。

ブログも”書いた”と表現されるよりも”積み上げた”と表現された方がより”経験値のレベルが高くされた”と意識されるのです。

このイメージこそが、単体としての言葉の力(=単語の力)になるかと思います。

インプリンティング

単語のイメージだけが言葉の力を持つというわけではなく、その言葉の力が作用して文のイメージが変化します。

一つ一つの単語の選択とその使い方によって文のイメージ(文意)の受け取り方が変わります。

しかし、日常生活において多く単語は無意識下に処理されています。

毎回毎回、見たり聞いたりした単語のイメージを他の単語と比較していては生活が大変です。

「こっちの単語の方がよりポジティブなイメージだから、こっちの単語で考えよう」

とかしていたら、日が暮れてしまいます。

日常は単語で溢れているのですから。

多く単語と文意は無意識下に処理されているため、何気なく毎日を生活しているだけ言葉は刷り込まれていきます。

僕たちは言葉をやりとりするようになってからずっと、このような作用下で生きてきたのですから、言葉は意図せず行動に影響しているだと思います。

言葉の使い方で意識は変えられる

言葉が行動に影響しているのであれば、逆説的に、言葉の選択や使い方によって行動を変えることができます。

受け取った言葉が自分のイメージと異なっていると気付いたならば、それを自分のイメージに近づけるような建設的な言葉に変えてあげれば行動変化につながります。

言い方ひとつで意味合いは変わるのですから、見たり聞いたりした言葉を自分なりに変換すれば”自らの力で意識が変えられる”ということです。

どのような言葉を使用すれば自分のイメージが変化して、行動に作用するのかは試行錯誤かと思います。

それでも、インプリンティングされて自分の行動に作用していた言葉を、意識上に持ち上げて再考する試みは、今後の行動変容をきたすのですからやってみる価値はあります。

間違った単語をチョイスして全体のイメージが異なったまま、自分にとってネガティヴな影響となってしまう可能性もありますが、そこは自己責任になってしまいますけど・・・。

言葉の選択と使い方に注意して生活することが、自分だけではなく他の人にとっても、より建設的な行動変容へとつながる。

今回は、毎日の心がけの重要性を小難しく考えてみるお話でした。

でわ、お大事に(自分)。

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